去年、剪定した紫陽花。
そのまま捨てるに忍びなく、空いている鉢に何気なく挿しておいたところ(挿し木ですね)、今年になって見事に花が咲きました。
時計草の花も、ひっそりと上を向いて咲いており、
ドラッグストアで入手は未定と言われた(コロナの影響だそうです)精製水が、ふらりと立ち寄ったホームセンターにひっそりと1本だけありました。
なにがなんでもとやっきになり(執着)毎日を過ごしていた頃は、計画通りに、それこそ自分が思うように、望んだ形で過ごせていると思っていました。
遠い未来の為に。
不安な未来の為に。
いつも見ている先は今ではなくずっと先。
どうなっているかもわからない未来でした。
相変わらず将来のことを考えると不安になったりもしますが、意外と目の前のことにキチンと向き合っていれば、自力でどうこうしようとあがかずとも、必要な時に必要なコトが起こり、必要な流れとなる気がします。
かといって、ほったらかしで良いのかというとそうではなく、なんとなくですが、不自然な事をしない方が上手くいく気がします。
まだまだ実験段階で、『間違いない!』と胸を張って言えるわけではありませんが、そんな、なるべく不自然な事を手放していくと、予期せぬ時に自分が思う嬉しいこと、ラッキーなことに出会う頻度が増えていっているような。
アンラッキーなことが続くと、『やっぱり私は。。。』な自己否定がもれなくセットで付いてきます。
小さい事でも、他人から見てどうでも良いことでも、自分が嬉しいことが積み重なれば、それは大きな幸せになり、自己否定が入る隙もなくなるような気がします。
紫陽花の花が忘れた頃に咲いた。
時計草の花が咲いていた。
買えないと思っていたモノが買えた。
他人から見ればどうでも良いことですが、こんな私にとって嬉しいことが続いた一日は、とても満ち足りた気分です☆
だからといって今だけが全てではなく、なりたい自分の為に毎日コツコツはセットです。
お問い合わせはこちらから。
もしくは、
【連絡先】
キモノ★キドキ
東 沙織
mail:kidoki.123.kimono☆gmail.com
(メール送信の際はアドレスの☆を@に変えて送信して下さい。)