七緒vol.59で話題に上がっていた鶴見和子さんの『きもの自在』。
早速、メルカリで見つけました。
着物で山登りをされる著者の鶴見和子さん。着物が普段着であった頃と同じように着物を楽しまれています。
とても印象的だったのが後半の対談ページで聞き手の方に
『着物を着ると窮屈。せっかく着ても着崩れしたらみっともない』と言われると
『着崩れが気になるのなら、初めから気崩して着ればいい。』と返されるくだり。
要は初めから緩やかに着ているから、それ以上崩れることはないということなのですが、まぁ、本当にびっくりな返答で(笑)
そして、とっても納得!
着物=窮屈は当たり前で、着物を着るというのはそういうこと。
着崩れないように、あまり動かずにギチギチに紐で締める。(だから窮屈につながってしまうんですけどね)
それが着物の有りようであれば、確かに着物着たくないですよね(笑)
でも、そうじゃない。
普段に着物を着ていた時代があって、それもそんなに遠くない時代。
当たり前に出来ていたことが、当たり前に出来なくなってしまって、それはやっぱり普段の生活と着物が切り離されてしまったから。
着物=ハレの日に着るもの
と定義されてしまったら、ケの日に着る着物も、シワなく着崩れなく着る?
違いますよね。
綺麗に着るハレの日もあるけれども、ゆるく動きやすく着るケの日もある。
毎日ご馳走ばかりは食べれません。質素な食事があるからこそのご馳走。
ケがあるからこそのハレ。
そんなことを言いながら私は毎日着物生活ではありませんが、それでも普段に着る着物は気負いなく気持ち良く着たい。
改めて感じた本でした。
読みたい方は、是非お立ち寄り下さい(^^♪